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1996
シングル『愛の才能』でデビュー
3rdシングル『1/2』
4thシングル『桜』 19995thシングル『ピカピカ』 2000
6thシングル『微熱』
8thシングル『ギミーシェルター』
DVD『ten.cut.plus.-clips 1996-2001』
1.愛の才能
デビュー曲は岡村靖幸の作曲&プロデュースという贅沢な初陣だった。といっても僕が岡村作品で思いつくのはアニメ『シティーハンター』の主題歌ぐらいだが。(後で知ったが、“カルアミルク”とか“あの娘僕がロングシュート〜”の人でした。無知でした)。
発売から相当経った現在になり、あらためて歌詞カードを読むと発売当時の曲のイメージと全く違う印象を受けた。あの頃はチャートを景気ヨク賑わせるJ-POPとして、良質なポップスの一曲として娯楽の一部となっていた。だがこの歌詞、全てのフレーズが切れ味の鋭い刃物のようだ。なぜに気づかなかったのだろうか。初期の曲はポップなメロディに覆われていて、本質を見たいなら歌詞カードの精読は必須であり、当時の僕はこの曲を買っていないのから当然読んでいない→真意を理解できなかった。というより真意に迫るためのスタートラインにすらつけていなかったと言う方が正確かもしれない。
さてその歌詞をちょっと例示してみる。まずサビにおいて神がかり的ともいえるフレーズの組み合わせが炸裂する。僕のポップス好きは相当なものだけど、その中でも川本真琴の歌詞は唯一無二の存在感である(特異性の肝「組み合わせ」の話は別項で)。とかくポップスは先人のモノマネから入り、表面にオリジナリティをコーディネートする形で発表される。だがDNAの圧倒的な特異性をもった歌詞に関しては、表面上のアレコレだけで片付けられない。もっと中心の方からオリジナルなのだ。歌詞だけでもそうだが、“音”の方でも意外とマニアックな構成である。1/2や桜はバランスを取るためなのか、アレンジはマイルドなのだが、DNAは生々しく、そして乾いたザラツキが感じられる。でもこれを川本真琴が主導したとは考えにくい。背後にマーケティングのプロの存在が見え隠れするし、チーム川本という状況でもあっただろう。大人の話は別項でしたから割愛。最後に一点。この頃にはすでに川本真琴なる象徴と本人のピントがずれていたと思う。それでも何とか『川本真琴』にたどり着いたその奇跡に感謝。
70万枚を売り上げ、川本真琴最大のヒットを記録した曲。みんな知ってる有名な曲。アニメのタイアップでもおなじみの曲。そして「こちら側」には踏み込んでこない曲。歌詞や表現を通じて大衆性を獲得するはずのポップミュージックにおいて「こちら側」を無視なんて反則だが、それを爽快にやってのけたのが1/2である。歌詞は驚くほど抽象的(断片的)なのに、ガンガン目の前に情景が浮かんでくる川本真琴マジックを最高級のメロディに乗っけて、さらに最高のヴォーカルを響かせる。ここまで完璧だと天才としか形容できないわけだが、冒頭に書いたとおり川本真琴はこの曲では「こちら側」を無いものとしている。超個人的なことを唄っても、それが例えば恋愛の曲であれば、リスナーは勝手に共感して、それが広がれば大衆性を得ることになる。それがポップであるということ。では、この1/2はなんだ。恋愛の唄? わからない。自転車でいつもの道を通り、そして到着して別れるまで。そのわずかな時間でなぜここまで無数のイマジネーションを産み出せるのか。「背中にくっつきながら」主人公が頭に描いているであろう煌めくイメージを、そっくりそのままリスナーにリアルタイムで転送してくる。この主人公の頭の中に生まれた感情のみがこの曲の全てであり、一般論も結論も一切登場しない。まとめなど必要ない。徹底している。一切大衆に譲っていない。その曲がこんなにもポップなんて信じられるだろうか。
具体的だと誤解されそうな「抽象的な素材」を扱って、こんなにもリスナーの間近で鳴り響くポップミュージックを作れるのは川本真琴だけしかいない。
卒業というありふれた題材を唄ってみても、川本真琴の手にかかればこのとおり新鮮な卒業ソングが出来上がってしまう。歌詞の完成度は非常に高く、デビューから続いた川本真琴の世界観の終着点といえる。フレーズ単位でこれといった驚きがないのは、川本真琴に慣れてきたこともあるだろうが、それだけではない。この曲は名曲だが、アルバムの後にこの名曲を持ってきたことで少々やっかいなことになる。アルバムで示した川本真琴像を踏襲することで、川本真琴のイメージがほぼ確定してしまったからだ。川本真琴本人が初期衝動というか勢いで作ってこられたのはファーストアルバムまでだと思っている。桜の制作は実質リスタートであって、クリエーターとしてのテンションはまるで違うはずだ。アルバム制作までは一心不乱に自然と自分の巨大な才能を使いこなせていた印象があるが、アルバムを出して立ち止まったとき、次の道筋がはっきり見えていたとは思えない。そんなターニングポイントで、今までのイメージにそった曲をリリースしてみたら、初登場2位になってしまった。商業的成功は「変化」のタイミングを見失わせた。マーケットはさらに続きを求めるだろう。このペースで曲をリリースしつづければ、川本真琴の音楽は変えることはますます困難になる。この路線を拒否するにしても、1stに匹敵する次の方向性が簡単に見つかるわけも無い。選べる道はただ沈黙することだった。(注:すべて推測)
リリースが桜と微熱に挟まれた不思議な曲。他の作品から絶対的に独立した別格の存在といえる。ピカピカにピンとこない人も安心して欲しい。聴きこむことで必ず良さがわかってくる。肩の力を抜いて、自然と耳を傾けてみると無数のイメージが広がってくるはずだ。そのイメージはどこまでも神秘的で、穢れのない宝石に近いかもしれない。そんな中にもどこか人工的な匂いを放ち、少し不安な気持ちにもさせる。ファンタジーだけで終わらせない。
この歌詞は1st『川本真琴』でもなく、かといって2nd『...gook』の世界とも違う。
不運にもシングルとしては存在感が薄かったが、『...gook』の中での輝きはすさまじい。環境しだいで様々な色になる作品。
PVもお勧め。ピカピカで想起されるイメージの模範解答的なセットで作りこんであり、お金もかかっている。個人的には1/2と同様にとんでもない才能を感じさせる曲。そしてちょっと怖い曲。
最初に聴いたときはセカンドアルバムの中で聴いたので、シングルカットされてるとは知らなくて「いい曲だなぁ」と思いながら聴いていた。シングル曲と聞いて納得。良い意味で川本真琴史上初の「普通にいい曲」だと思う。かなり細かくされた川本真琴らしさが散らばっているので、浅くも深くも付き合っていける。この掴みどころのないポップ路線はもっと突き詰めてみても面白かったはずだ。でもそれは「あの」ポップフィールドへの帰還を意味してるわけで、今更相手にしたくない気持ちも分かる。
岡村靖幸作曲、川本真琴作詞による、10分を超す壮大な曲。表現者としての川本真琴を全面に押し出すことで、これまでの状況を一気にぶち抜いた重要な作品である。と同時に、デビューからどことなく付随していた岡村靖幸の匂いを、あえて岡村作曲の作品で払拭した意味も大きい。全てをリセットした川本真琴の新章はこうして『fragile』で壊すことによって始まった。
9.ブロッサム
七尾旅人と川本真琴の2人の天才が作り上げた大名作。これを聴いた瞬間、正確には聴き終わった瞬間にこの曲は自分にとってかなり大きな存在になると感じた。とりあえず聴いてもらわないことには説明しようがない。 『川本真琴』
1stアルバム。『川本真琴』を真正面から捉えれば、ほとんどスキのない非常にレベルの高いポップアルバムである。曲単位でバラバラにしても揺るがない質の高さを誇っている。そしてひとつひとつに川本真琴という色がしっかり付いている。 この曲、ぼんやりしてるとただのキャッチーな歌として流してしまう。「言葉遊び」を得意とするミュージシャンは妙に評価が高いが、川本真琴の場合、言葉の当てはめ方は「言葉遊び」なのだが、表現において一切遊んでないのだ。ぶっ飛んだ比喩だってそっくりそのまま消化させてしまう。「逃げ」を許さないのだ。 ・STONEわかりやすい“歌詞”とはなにか。ポップであるためには、当然わかりやすい“曲”でなければならない(=ポップ)。aikoはかなり分かりやすい歌詞を書く。川本真琴はかなりわかりにくい歌詞を書く。両者とも「あなたとあたし」という状況を好む。 比較は無意味だが、少なくとも僕はaikoの曲は恋愛の歌であり、そして恋愛の歌として非常にきれいに整頓されて終わっていくように感じる。だからその歌が自分の中でどう消化して良いのか容易に理解できる(受け入れないという選択も可能だ)。 では川本真琴はどうか。とても“恋愛”だけでは集約されない色々な想いが“ごちゃごちゃ”に不親切にぶちまけられてそのまま終わる。聴き終わって、一種の混乱状態になる。でもしっかり感覚的には理解している。それを正確に表現できないのだ。表現できるとしたらそれはそのまま川本真琴の歌詞になる。 だが無意味な難解さとはかけ離れている。「なんかよくわかんないけど、わかる!」というリスナーの感受性のギリギリのラインに直球を投げ込んでいるからだ。境界線を見誤れば、即座に不思議ちゃん決定である。このラインを超えた瞬間、ポピュラー音楽ではありえなくなる。例えば椎名林檎は超えても、まったく気にも留めず、堂々とそこに居座ることで「あっち」にいながらポピュラリティーを得るという荒技をやってのけた。それは評価されてもいいかもしれない。だが、川本真琴のようにラインのギリギリで神経すり減らす方が、何倍も大変なことなのだ。一般の川本真琴の評価はそこを無視したものが多かった気がする。 ・EDGE
妄想を禁止されたら、いったいどうなるのだろうか。なんかの雑誌で「トミーフェブラリーは女の子の妄想を歌ったものだ・・・」みたいな記事があった。妄想は行き過ぎてはまずいと思うが、現実からどうしても逃げたい場合において、救ってくれる手段であると思う。知性あふれる現実逃避とでも言っておこう。そしてトミーがそういった一時的な逃避としての妄想を媒介する上で最良の存在でありうるなら、彼女は真に“ポップ”といえる。
不思議に思ってることがあって、「愛の才能」「1/2」のカップリング曲である「早退」「1」の“年齢”がシングル表題曲やアルバム曲のそれに比べて高い気がするのだ。片方が「放課後」を歌い、もう片方が「車」というワードを使おうが、この2曲の“年齢”は高いと思う。これを勝手に解釈すれば、2曲ともある程度“答え”が出てることが理由なのかもしれない。そのため「救われなさ」具合はアルバムの曲よりもはるかに低い。比較的健全なのだ。だからアルバムに収録されていないのかもしれない。 何が昔の思い出を想起させるか、ってのはまさしく人それぞれ。だた「教室」とか「放課後」とか、ある程度万人に共通したワードも少なからずある。「そんなの脇役で十分!」と学校ネタのお約束を横に退けて歌い上げた「やきそばパン」。ここらへんの“気の使わなさ”加減が最強に絶妙。個人的になりすぎるのを、きちんとその「脇役」でカバーしてるところもさすが。 ・LOVE&LUNA昔に頭が良かった人を、何年経ってもそのイメージで見てしまうことは多い。とっくに優等生を脱していても、第一印象はなかなか変わらない。だからこそ人は、高校、大学、と自分のことを知らない人しかいない世界で、新たな自分を始めようと奮起するのだ(完全に想像の世界)。とはいえ、逆に常に優秀さを示してきたなら、一度ぐらいのアレじゃ、評価は下がらないもの。 追記:DNAのカップリングでもあった曲。少しラリった世界観に、川本真琴の言葉選びが融合した最高のファンクナンバー。浮きまくってるけど、ぶっちぎって浮いてるので不思議とアルバムの旨味になっている存在。 ・ひまわり
最強のポップソングの運命はいかなるものか。槇原敬之は時々怖いぐらいつぼを押さえた曲を書くが、僕の場合、徹底的に聴きまくって、飽きて、おしまいである。「HungrySpider」はすばらしいポップソングだが、やはり消化してしまうのだ。 約4年振りとなる2ndアルバム。“ギミシェルター”でまず不意の一発をくらい、免疫の無い楽曲の嵐に混乱していると、いきなり初期っぽさが残る『桜』のメロディーが流れてくる。…まったく、待望のセカンドはどうしようもないほど奇想天外な作品だ。個々に曲の個性が立っていて、かつ全体としてのバランスも完璧だった『川本真琴』に比べて、サウンド的には荒々しく、表現的には繊細になっている。 『川本真琴』が川本真琴の唯一無二のセンスを如何にして「万人」に伝えるかをテーマにしているならば、今作のテーマは川本真琴のセンスをどれだけニュートラルな形で音楽に移せるか、だ。対象となるリスナーが絞られることにはなったが、 根本は何も変わってはいない。いつも「あの日の激しい感情」を冷静に唄っていた川本真琴の視点が、この作品から「今、現在、目に見えるもの」を描き始めたというだけだ。 *カップリング曲のレビューはここ。 |