Since 1997

何年か振りにふと川本真琴を思い出して、好奇心が「今何をやっているか知りたい」というレベルまで達した人のために懇切丁寧なガイドラインを作りました。現在はオフシャルサイトが充実しているので、そっちを見るとより良く分かりますよ。

1997年。この年は川本真琴がもっとも多くの人々によって対象化され消費された年です。最高のセールスを記録したシングル(1/2)、ミリオンを超えたファーストアルバム(『川本真琴』)、ライブツアー(早退)。その時、あまり川本真琴に興味のなかった僕でさえ、その輝かしい年の栄光を鮮やかに思い浮かべることができるのです。これが、おそらくここへ来たほとんどの人が知っていることでしょう。それが1997年。

ここからだんだんと知らない人が増えてきます。一般的に1998年の4月に“桜”をリリースした直後から川本真琴関係の記憶は明らかに薄らいでいくようです。理由はCDの発表がなかったからです。全く無くなった訳ではなく、正確には「リリース間隔が長かった」ということです。下の4曲のシングルのリリース間隔を見てください。

1997.3.21:1/2
1998.4.01:桜
1999.4.01:ピカピカ
2000.1.21:微熱

売れているミュージシャンでもシングルを1年間リリースしないのは普通にあることです。しかし、連続性の無い展開では、異常な数(例えばミリオン達成くらい)のファンを維持するのは難しくなります。桜の後に何も続かない。ピカピカの後にも続きが無い。リリースしては沈黙というこの時期のリリースペースによって、世間の関心から徐々にフェードアウトしていくことになりました。 必然的にファンが離れていった云々は別項に譲りますが、1997年以降の記憶が曖昧なのは寡作であったことが理由なのでしょう。
寡作であるので、セールス的全盛期である1997年以降の活動は、簡潔に記せます。一覧表は『DISC』に載せてありますが、 大体の流れとしては、98年春“桜”を出します。丸1年あいた1999年春に“ピカピカ”をリリースします。2000年1月の“微熱”をもって「出しては沈黙」の時期が終わります。
同年春には“fragile”をリリースし、翌年2001年には3年9ヶ月振りのセカンドアルバムを発表しました。同年秋に“ブロッサム”リリースしたところで、川本真琴のリリースは本格的に沈黙します。
そして2003年7月に事務所及びレーベルを辞めたことを発表し、個人で活動することを宣言しました。

深くつっこまずに活動を見ていくと、以上のようになります。結局のところ「川本真琴のファンになるのに、遅いなんてない。」ということです。もし川本真琴の音楽に反応し、興味を持った人はレンタルでも何でもいいのでチェックしてみてはどうでしょうか。アニメのタイアップとか、ルックスとか、時代の流行とか、余計なものを排除してもう一度、じっくりアルバムを楽しんでみてください。幸運にも時を経た今ならそれができます。 そして川本真琴の音楽と共鳴したのなら、気後れせずにCD集めてみましょう。そして一緒に現在進行形のファンになるべし。

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